2019
08.09

【うつ】になるのは、最善の方法だった。

all, かみや ちづ

 

 

 

かつての私は、

 

 

生きることが

こんなに苦しいなら、

もう死のう…

 

 

って思ってたわけですが。

 

 

 

 

なんというか、

無念に感じたんですよね、当時。

 

 

もっと違う人生を

生きたかったはずなのに、

生きることを諦めるしかないのか…

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って。

 

 

 

 

 

 

結果的に生き延びてるんだけどね。

 

何かしらの生きる理由があったから

ということなのだろう、と。

 

 

生き延びて

『生きることを諦めなくてもいい方法』に、

出会って、人生に確変が起こったので、

そりゃ必要な人に伝えるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

生きようと思っても

生きられない人がいる一方で、

死のうと思っても死な(ね)ない人もいる。

 

 

生と死は、

どこまで科学が発展しても

人間が操ることはできないと思ってます。

 

 

人工授精だって100%ではないし、

延命だって限りがある。

 

 

 

 

 

 

『いのち』って、神秘だからです。

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んー、100%の操作が

科学で可能になったとしても、

 

生命倫理の観点から

臨床では生命を完全支配することは

ないでしょう。

 

今の社会が

「いのちは神秘である」というのを

認めているってことですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アポトーシス」ってご存知ですか??

 

 

プログラムされた細胞死。

私たちの身体の細胞の「自殺」です。

 

 

個体をより良い状態に保つために

異常をきたした細胞を取り除いたり、

変態を遂げるのに必要な過程として

細胞が自殺するように

プログラムされている

というもの。

 

 

 

放っておいても、

最善の状態を維持するために

身体のメンテナンスがなされる

というシステム。

 

まさに、

いのちの神秘だと思いませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし、

今あなたが死にたいのに死ねなくて、

生きながらえているような状態なら、

 

それは何かしらの生きる理由がある

ということなのでしょう。

 

 

 

 

『死んではならない』

『生きなければならない』

と言っているのではなくて、

 

死は然るべき時に訪れるもので、

 

自殺であれ、

病死であれ、

老衰であれ、

それは個人の支配ではないと

私は思ってます。

 

 

 

とりあえず今生きているのなら、

何かしらの理由があることを

認めてしまえばいいと思うのです。

 

 

生きる理由、生きる意味は、

やがてわかることだと思ってみる。

 

いや、わからないかもしれないけど、

いずれにしても最期の時点でしか

判断できないと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人は、いつも最善の選択をしている」

 

というアイデアを聞いたのは、

スピリチュアルに興味を持ち始めた頃だったかな..(忘れた)

 

 

 

 

後になって、

「もっとあーすればよかった」

「もっとこんなことができたのに」

「もっと違う選択があったんじゃないか」

って思うのはさ、

 

 

済んだ後だから

そう思えるのであって、

 

 

もし、その時点で『わかっていたら』、

当たり前に『より良い選択と行動』を

したはずだよね。

 

 

 

 

でも、しなかった。

 

 

 

 

なぜなら、

 

知らなかったから。

わからなかったから。

思い至らなかったから。

 

しなかったのではなくて、

不可能だった。

 

 

 

 

 

だとしたら、

 

済んだことは

最善の選択をしたのだと

肯定できませんか。

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私はそれから、

「後悔すること」はやめました。

 

 

 

 

人生というサイズでも、

1日の時間の使い方というサイズでも。

(今日〇〇ができなかった〜とか)

(うつの時って自然に思考するよね)

 

 

 

 

いのちが継続されることの神秘と、

私が生きてきた過程が

「最善の選択と、その結果の連続」

だと認めたとき、

 

 

 

これでいいんだ

 

 

 

と思うことにした。

無駄な抵抗をやめた、というのか。

 

 

今後どんなクライシスが訪れても、

私は大丈夫なんだろう、と思うことにした。

 

 

死ぬときには辻褄が合うはずだ、って。

 

 

 

 

 

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これ実は一度目のうつを引きずってた頃の話。

論理的に理解して、受け容れようとしていた頃。

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ところがどっこい、

二度目のうつの時には、

 

 

もし、うつになっていなかったら、

どうなっていたのだろう。

 

妊娠しなかったら、

結婚しなかったら、

仕事をやめなかったら、

より良い人生があったのかもしれない

なんて想像したこともあったし、

 

ただただ平凡な人生がよかったー

なんて思ったりした。

 

 

 

 

あれ?

 

一度目のうつで悟ったっぽかったのに、

どーした。

 

 

 

 

このとき私は

 

論理的な理解、

言葉の理解は脆いことを

思い知ったってことです。

 

そして、

受け容れるってむずいw

 

 

 

理屈で納得したつもりでいたのが、

「しんどい」という体感を覆す力はなかったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

この頃に

プロコミュニケーションモデル

という実用心理学に出会ったのだけど、

 

世界の見方を変える8つのメガネの5つめが、

「人は、いつも最善の選択をしている」

というもので、

 

かつて私が出会ったことのある言葉…

 

 

超おもしろいことに

この字面にとどまらない

奥深い理解があるのです。

 

 

 

どのように超おもしろいかというと…

 

 

 

これが腑に落ちると

 

「うつ、めっちゃ必要!」

 

「やたらに治そうと頑張る必要ない!」

 

「むしろむやみに治しちゃダメ!」

 

って…

わかるんです。

 

同時に解放される。

(中級クラスで腑に落とすワークをやってます。)

 

 

 

 

 

受け容れようとするのではなくて、

積極的に肯定することができる。

 

 

 

 

 

私はそれから、

『趣味、死にたくなること』

とか言い始めました。

 

 

 

 

 

うん、だからね、

 

「うつは最善の方法である」ってことも

「あなたには生きる理由がある」ってことも

私は疑う余地がないと思っていて、

 

うつを治したいのなら手伝うし、

もし、生きる理由、生きる意味が欲しいなら、

それをつくるお手伝いもしてます。

 

 

 

 

死ぬときは、どうしたって死ぬから。

 

てことは、死ぬまで生きるんだから、

どうせなら有意義な人生を生きようよちょうちょ

 

 

いつまでも苦しいだけの世界にいないで。

 

 

 

 

 

 

 

かみや ちづ