2019
09.14

価値と存在は別軸で考えて。それだけで生きるのが少しラクになります。

all, 伊東ひろみ

今日Facebookへこのような投稿をしました。

 

実用心理学PCM(プロコミュニケーションモデル)

オリジネーター

宇野ひろみ自身、

元うつ病の人なんですよね。

 

彼自身、重度のうつを経験した上で

うつは治すなと語っています。

 

当然のように死を考えたようですが

本当に、生きててくれてよかった。

 

彼がいなければ

今のわたしはなかった。

 

まさに今、うつで苦しくて、

死を望んでいる人もいるだろうけど

「生きててくれてよかった」と

誰かがあなたを想う

そんな未来があるかもしれない。

 

言いたかったのは色を引いてある部分なのです。

 

うつで苦しんだのだろうけど

彼が生きていてくれてよかったと

わたしは心から思います。

 

それは彼がPCMを考案し

PCS※PCMを学ぶスクール

を主宰してくれたことで

わたしの人生に大きな影響を与えてくれたから。

 

わたしの人生に関わってくれたから。

なんだけど。

 

こんなふうに書いていくと

「すごい人だから、生きててよかったと思うんでしょ」

「わたしは何もできないから価値がない」

と思うかもしれません。

 

わたしも

「わたしには何もない。価値がない人間だ」

「誰からも選ばれない。存在している意味がない」

なんて考えては苦しんでいました。

 

でもね、こんな考え方は間違っていますよ。

本当に間違えている。

 

わたしは

生きてるだけで価値があるなんて言いませんし

思いません。

 

だけど

存在している意味がない人間なんていない

と信じています。

 

それも強烈に。

価値と存在は別物ですよ。

 

そもそも今、心が苦しい状態にある人は

「価値」についてなんて考えるのはよしてください。

 

「価値」なんて、

相手との関係性や世の中の動きなんかで

ころっころ変動します。

 

前出の宇野だって

わたしが心身ともに充実している時期に出会っていたら

「何ゆーとんじゃ、この関西人は」で終わる人。

だったかもしれない。

 

心身が弱っていた時に出会ったので

彼が作り出した価値に感謝して

生きててくれてよかったと思うのです。

 

タイミングが違えば価値ゼロどころかマイナスだったかも。

だけど「存在」はいついかなる時も変動しません。

 

わたしはわたしとして、

あなたはあなたとして存在している。

直接的に出会うことがなかったとしても

その存在は影響を与え合っています。

 

今あなたが

何年何月何日の

何時何分何秒の世界にいるのかわかりませんが

その世界を構築するために費やされてきた

この世が発生した時点からの

ヒト・モノ・コトの全てが必然なのです。

 

わたしは今左足で貧乏ゆすりしてますが

こんなことすら今後の”何か”に影響を与えるでしょう。

 

こう考えると

「あなたが生きていてよかった」は

すでに達成されているのですよね。

 

あなたが生きていなければ

この瞬間は不完全だった。

というか、

この瞬間は存在しなかった。

 

だけどやっぱり明確に、第三者から

『あなたが生きていてよかった』と

思われたり言われたりしたい。

 

これもまた当然の感情で欲求です。

 

誰だって誰かを求めたいし

求められたい。

 

だとしたら

何らかの価値を誰かに提供する

というチャレンジが必要になります。

 

価値を感じてもらうチャレンジー!

です。

 

チャレンジということは失敗することもある

という前提ですね。

 

価値を感じてもらえず

選ばれなかったとしても

「提供したモノ」に改善点があるというだけで

提供した人の存在に問題はありません。

 

存在と価値をごっちゃにして苦しむ人

めちゃ多いです。

 

価値は価値として提供していきましょう。

価値を感じてもらえないこともある。

存在はいついかなる時も否定されることはありません。

 

わたしの存在は常に肯定されているのです。

プチうつさんは”心で感じる”のは得意だけど

理論的に考えるの苦手な人が多いと思います。

まさにわたしも…(笑)

 

とにかく

あなたの存在は常に肯定されていると知って

安心してください。

 

あなたが生きていてよかったは

既に達成されているのだから。

 

伊東ひろみ